基本情報
公開年:1982年
総監督:富野喜幸(現在は由悠季)
原作:矢立肇 富野喜幸
キャスト:塩屋翼(ユウキ・コスモ)田中秀幸(ジョーダン・ベス)白石冬美(イムホフ・カーシャ)井上瑤(フォルモッサ・シェリル)鵜飼るみ子(キッチ・キッチン)戸田恵子(カララ・アジバ)
上映時間:接触篇84分 発動篇98分
あらすじ
<以下アマプラの紹介文より引用>
【接触篇】
TVシリーズの総集編。アンドロメダの惑星に入植した人類が、遺跡から巨大ロボット「イデオン」を発掘し、伝説の無限力「イデ」を求める異星人・バッフ・クランと戦争状態に陥る過程が描かれている。誤解と無理解からはじまった戦いは、数多の星々と人の命を呑み込みながら拡大し、滅びへの道を加速してゆく。
【発動篇】
TVシリーズ後半を編集したものに新作部分を加え、TVシリーズではカットされた「真の結末」を描いている。それまでの巨大ロボットが、人間の科学が生み出したものであるのに対し、「イデオン」は不可解で制御不能な「神」のような存在として描かれている。伝説の「イデ」が発動したときなにが起きるのか?
「THE FIRST SLAM DUNK」レビューの際にも書いたような記憶があるんですが、まあびっくりするくらい漫画とかアニメを知らなくてですね…。ルフィがゴム人間(?)だってことを知ったのは最近だし、この前は「今映画がヒットしてる『ハイキュー!!』ってアレ、どこ部の話ですか?」って恥を偲んで20代に聞いたもんね(半笑いで教えてくれましたよ、ええ)。あそうだ、何故かエヴァは観てます全部。にしても映画好きとしては「ジブリとディズニーとエヴァくらいしか分かんないし」っていう理由で他のアニメ作品をスルーするわけにはいかず、でも何から観たらよいのやら…。思案しているんだよね〜と夫に話しましたらば、古のオタクである彼に「ならば基本中の基本である『イデオン』から観るが良い」と言われまして。(色々説明してくれましたが早口なので良くわかりませんでした)
アマプラにテレビアニメシリーズ25話があったのでとりあえず1話観たらストーリーは面白そう。時は2300年。人類が移植した星から「第6文明人」の遺跡が出てくるんですが、復元したらなんと巨大兵器ロボットだった!勝手に動くけど動力源は不明!彼らは一体何のためにこのロボットを作ったのか?!そしてどこに消えてしまったのか?!…そうこうする間に同じくそのロボットを狙う異星人との戦いが始まる!…っていう。1話目にこんな大きな謎を提示されたら答えを知るまで観ざるを得ないじゃないすか。というわけで2話目を観ようとしたらなんと以降1話110円のレンタル料がかかるんすよ!110円×24話。零細フリーランス主婦にはまあまあの出費です。
んで再度夫に相談しましたらば「ならば映画版の『接触篇』と『発動篇』を観るが良い」とのこと。つまりテレビ版のダイジェスト的なもので、しかもテレビは途中で打ち切りになっているので、映画版のほうが「本当の結末」を観られる、と。(早口)
前置きが長くなりましたが、そんなわけで観てみた「伝説巨神イデオン接触篇/発動篇」、それぞれ感想書いてみます〜。
接触篇 感想 分かりやすさを完全拒否
オープニングはテレビ版と同じ流れなんですが、驚くことにファーストシークエンスは主人公である人類側でなく「敵側」である「バッフ・クラン族」から観た世界なんですよ。この時点で「分かりやすさ」とか「子供向け」を完全拒否してるな、というのが理解できます。実際、ちょっと分かりにくい部分もあり、「人類」も「バッフ・クラン族」も母星(ははぼし)のことを「地球」と呼ぶんです。「地球」とは「我々が生まれた星」という意味の概念である、というわけ。
戦闘シーンに「スターウォーズ」(日本では1978年公開)の影響あり。「反物質エンジン」やら「亜空間飛行」やらムズカシい言葉が飛び交い、「な?何だソレ?」と思っている間に終わります。正直この「接触篇」についてこれと言った感想は出てきません。強いて言えば「大すじはどうにか理解しましたよ!」ってなくらい。ちなみに「イデオン」とは巨大ロボの名前で「イデ」という無限力(エネルギー)を動力源して動いているらしい。動力源も仕組みもわからないのに主人公たち、割とイデオンを乗りこなしている。なぜだ?!(この疑問については後述)
発動篇 感想 結末は哲学だった…!
続いて「発動篇」。こちらもファーストシークエンスが衝撃的です。主人公コスモの恋人らしき青い髪の可愛い女の子が初登場したかと思えば、いきなりスパーンと首が飛びます。戦闘に巻き込まれたのです。退場早っ!
戦闘の多い「接触篇」に比べて人間ドラマ部分が厚かったせいかも知れませんがこちらは面白かった!面白さの理由の一つは魅力的な女性キャラです。「嫉妬」という感情が物語を動かす流れがところどころあるんですが、その「嫉妬」をするのは皆女性キャラ。今だと当然怒られますが1980年代当時は「嫉妬する性といえば女性」だったのです。「悔しい!」「私はあの娘に比べて不幸なの?!そんなの許せない!」という人間らしい感情が人間ドラマをダイナミックに動かしていきます。そしてそんな「人間らしいけど良くない感情」こそがこの世界のキーとなっているのです。
さて、イデオンを巡る数々の謎、解けたっちゃあ解けたし、良くわからないといえばわからない。エンディングは「2001年宇宙の旅」をかなり意識したもの…ってことで良いのでしょうか?!
「2001年宇宙の旅 イデオン」で検索したらこんな対談が出てきました。
イデというのは自我――つまり、存在を一度許されたのなら永遠に存在していたいというモノです。そのイデが乗るもの=イデがONするものでイデオン。だけど、それを扱う人類はまだ未成熟で幼稚でしかないというのは『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク著)からいただいたアイデアです。
と富野監督の言葉にあるので、2001年宇宙の旅的なエンドであるというのは遠からずといったところでしょうか‥?(そもそも2001年宇宙の旅の解釈もまちまちなのでここでは詳細控えますが。)
さて、なぜ仕組みも分からないイデオンを乗りこなせたのか?という疑問ですが、それは乗務員が10代のまだ汚れなき心を持った者だったからです。子供(赤ちゃん)の邪気なき「善き心」によって発動するイデ。その「善き心」の対義語に「業(ごう)」という言葉が使われていたのが印象的でした。そしてその業深き者は意外にも「次世代の善き生命体」のために道を譲るんですよね。「皆殺しの富野」と呼ばれているらしいですが、最後は意外と爽やかな気分になったのでした〜。
アマプラで観られます。下の「発動篇」をクリックすると「接触篇」も一緒に出てきます。
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テレビシリーズはこちら。
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