映画と関係なくてすみません。
ダウンタウンの漫才を初めて深夜番組で見た時の衝撃を今でも覚えている人間として、そしておそらく彼が広めた「『面白い』は正義」という価値観に救われた人間として、今回の件に胸を痛めております…はあ〜(ため息)。
この話題を無理矢理映画と結びつけるとしたら、松本人志氏は「大日本人」「しんぼる」「さや侍」「R100」という4本の作品を撮った映画監督でもあります。一本目から「さや侍」まで映画館に足を運んで観たのですが、うん、、なんちゅうか、、映画である必要があるんかいな?というモノでした。やりたいことは分かるし「しんぼる」は特にアイデアが面白いなあと思ったんですが、例えば構図だとか、このカットは何秒であるべきなのかとか、そういう「映画だったらそこはこだわる所じゃないの?」って部分に神経が届いている感じが全くしなくてですね…。「シネマ坊主」という映画批評を連載していたわりにはちょっと残念だなあという評価でした。…うん、てか彼の映画についてはこのくらいしか書けることないな…。
さて、これは「松本論」を語る人も言っていましたが、松本人志は教養のない人だと思います。教養をつけるべき時期に本を読まなかったのでしょう。新人のころからすでに天才だったが故に忙しすぎたんだろうなあ。その教養のなさが現れたのが初期の「ダウンタウンデラックス」(1993年〜)でした。これ、当初は役者などの大物ゲストを1人呼んでトークをするのがメインだったんです。これがまあ、つまらなかった。お話がぜんぜん弾まないんですもの。視聴率も伸びなかったせいか、やがて今のような大勢のゲストVSダウンタウンという方式になっていきます。
思うのですが、この時辛抱してゲスト1名のスタイルを続けられなかったのでしょうか。例えばですよ?ゲストが歌舞伎俳優なら、収録の前に1度歌舞伎を観に行って、「やさしい歌舞伎入門」という本を一冊読む、ということを続けていれば仕事の中で教養が身についたはず。でもきっとそんな暇はなかったし、他の仕事をセーブしてでもやった方がいい、と面倒を見てくれる人もいなかったんでしょう(勝手な憶測ですが)。
そしてもう一つ、残念に思うのがナンシー関の不在です。
ナンシー関ってダレ?という方はWikiをどうぞ〜。
関さんは松ちゃんの一つ年上。「会うと悪く書けないから」と芸能人に会うことを拒んでいた中で唯一会ったのが松本氏でした。94年「クレア」という雑誌で対談していたと思います。松本氏にとってもリスペクトできる相手だったのでしょう。
そのナンシー関さん、2002年に39歳で亡くなりました。彼女だったら、松ちゃんのムキムキ化や、ラジオ「放送室」の終了について、ワイドナショーのこと、結婚後の変化などについても鋭く的確に突っ込んでいたと思います。そして松本氏も耳を傾けたことでしょう。的確な批判とはその人の味方になるものです。あ〜あ、ナンシー関が生きていたらなあ〜…。
などと言っても仕方ないのですが、、今回はなんだかよく分からん回になってすんません…。
Xにも書きましたが「TAR/ター」を思い出す騒動です…