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【シラート】感想(ネタバレちょいあり)/ 男は〇〇になったのか?!五感を狂わせる極限の緊張感!

不穏度

60(100を満点として)

心臓の鼓動が止まらない!ピリピリするほどの緊張感…!

基本情報

公開年: 2026年

監督:オリベル・ラシェ

脚本:オリベル・ラシェ、サンティアゴ・フィロル

主なキャスト:

ルイス(父親役):セルジ・ロペス

エステバン(息子役):ブルーノ・ヌニェス・アルホナ

上映時間:115分

あらすじ

<以下、公式サイトより引用>

砂漠で行われるレイブパーティに参加したまま失踪した娘を探すため、父ルイスと息子エステバンは、モロッコの山岳地帯から砂漠の奥深くへと車を走らせる。

行き着いたのは、現実と幻覚が混濁するような野外レイブのカオス。耳をつんざく重低音、赤い照明の海、沈黙を貫く父親の背中。

だがそこにはすでに娘の姿はなく、父と息子はレイブの参加者グループを追って、娘が向かったと思われる次のレイブ会場を目指すことになるが……。

評価

夢を見ました。六本木の交差点近くの横道を入るとなぜか桜や桃が咲き乱れる美しい里山が広がっていて、うっとりするという不思議な夢です。

一体なぜこんな夢を見たのか、思い当たる節があります。

その日の晩、「シラート」を観たからです。映画館であまりに過酷な体験をしたから脳がバランスを取ったのでしょう。いや〜、「シラート」、そんくらい凄かった!一種の宗教体験のようにも感じましたよ!!

ストーリーを追うというより、荒涼とした砂漠と五臓に響く重低音に五感を支配されたような体験!

では以下、どんなところが凄いと思ったのかのレビューです。最後のほうにちょっとネタバレ&考察あります!

感想

気持ち良過ぎて眠くなる?!トランス状態になる音響

初っ端から自分の話になりますが、50歳を過ぎて初めてギターを持ち、バンドを始めたんですよ。演奏するのは好きな80年代〜90年代あたりのロックンロールのカバー。恐ろしいほど上達しませんが、楽しくやっています。

バンドをはじめて良かったなあと思ったのが音楽の聴き方が変わったこと。それまでは歌詞やメロディーの美しさに着目していましたが、それを支える音、つまりドラムやベースのリズムの気持ちよさに魅了されるようになったのです。そこからテクノやトランスも聴くようになりました。延々とループするリズムを大音量で聴いているとトランス状態に入っていき、原始宗教ってこんな感じだったんだろうなあと感覚的に思える。

さて、「シラート」の重要な要素はレイブです。屋外に巨大スピーカーを置きガンガン音を出す。レイバーと呼ばれる人々はひたすら踊る。踊ることで無我の境地になるのでしょう。劇中のかなりの場面でこのリズム中心の音楽が流れています。

この映画を「一種の宗教体験」と感じた理由はこれ。繰り返す一定のリズムを聴いている時に陥る、ぼんやりと頭に霧がかかっていくあの感じを体験することができるのです。

そんで気持ちよくなって眠たくなる時間帯があるんですよ。そうです、もしこの映画を観て眠くなったとしてもつまらないからではないのです。

ってか後半の衝撃展開でびっくりして目、覚めるし。この緩和と緊張のバランスも完璧。

スピーカーの震えまで再現されていて、とにかく音、素晴らしいです。音響チームがアカデミー賞にノミネートされたのもよく分かります。

作家の思考にダイブする感覚

当たり前ですが映画は二次元です。裏に回っても何もない。

それでもなぜか立体的に観える作品があります。今作もその一つ。

表面上のストーリーはごく単純です。行方不明になった娘を探しに父親が砂漠の奥へと車を走らせるロードムービー。

冒頭に「シラート」という言葉について説明テロップが出ます。イスラム教の言葉で天国と地獄の狭間にある道のことだそう。

「その道は髪の毛より細く剣よりも鋭い」。

映画の中で、父親と息子(と犬)は道をひたすら進みます。岩だらけの悪路、砂漠の中の道なき道、ハンドルさばきを一つ間違えば奈落の底に真っ逆さまの天空の道…。

後半の衝撃の展開を除けばただそれだけのお話です。

この「衝撃展開」があまりにも凄過ぎてここばかりが話題になっていますが、その前の「ただ道をゆく」シーンの中に素晴らしいカットがいくつもあります。

印象的なのが、砂漠の中を3台の車が走る場面。

主人公である父親と息子が乗る車はごく普通のバンです。本来砂漠を走れるような車ではありません。一方、彼らが追う2台の車は大型の(たぶん)4WD。初めから砂漠のレイブパーティーに行くために準備をしてきた2台です。この小さなバンを2台の大型車が追い越すシーンがあります。

バンの親子は道を知らずレイバーたちの後を追っているのですから、ストーリー的にはおかしなシーンです。おそらくバンの小ささ、頼りなさを比較で見せるためのものでしょう。この時車は上手から下手に走っていく。つまり画面右から左への移動です。

同じように砂漠を爆走する場面がよく出てくる「マッド・マックス 怒りのデスロード」では逆、つまり左から右へ走る場面が多かったように思います(違ってたらごめん)。

セオリーでは左にいる者は弱者です。それが右に向かえば強者に成り上がっていく意味になります。マッド・マックスのようなひゃっは〜系の逆転スカッとムービーはだいたいこのパターン。

一方、右の者は強者。それが左に向かうのは敗北や転落を意味します。「シラート」で3台の車が向かっていたのは左です。

もうこの時点で嫌な予感しかしませんね。となると娘は生きていないのか…?と勘ぐりますが、それを忘れるくらいのとんでもないことが起きるのです。

娘は果たしてどこにいったのか?というミステリーだと思っていると、途方もない方向に連れて行かれる。その途方もなさの方向に監督の宗教観、死生観が映されています。多次元的に感じるのはそのせい。映画を観るというより、作者の思考の中に入る感覚。うーん、うまく表現できないので、パンフレットの監督インタビューを引用すると…

Q:「シラート」を作った理由を一言で言うと?

A:死ぬことを学ぶためです。人生は“尊厳を持って家に帰る”ことを学ぶための試練だと思っています。

だそうで。

なんて「分かってる」人でしょう!一発でオリベル・ラシェ監督のファンになりましたわ。座右の銘にしたい…。

キャスティングと役柄のこと

旅をする面々は、主役の親子役以外、監督の知人である本物のレイバーや演技経験のない市井の方々。

とくに印象的なリーダー役の女性はスペインに暮らす牧場主。電力を自給自足する生活を送っているそうです。

何がいいって、ちゃんと紫外線に当たっている顔をしているのが良い。厳しい自然の中で自分を律しながら生きている人の顔。

役者がレッドカーペット映えの見た目ばかりを追求しているのはやっぱ良くないし、つまらんよな、と改めて思います。世の中の大半の人は紫外線に当たりながら生活しているわけで、そういう役柄だって多いでしょうに。

さて、親子以外の主要なキャストはこの女性を含め6名。手を欠損している人、義足の人、ゴスっぽい女子など個性豊かな面々ですが、彼らがどこの出身で普段は何をしているのか、なぜモロッコの砂漠の奥地のレイブパーティーに向っているのか?などの背景はほとんど描かれません。この説明のなさもとても良いです。ただ「そこに在る人」として旅を共にし、当たり前のように食料も感情も分け合う。文章も絵画もそして映画も、何を描くかよりも何を描かないかが重要。改めてそんなことも思いました。

ネタバレ注意!考察・あの人は〇〇なのか?!

どうしても気になったことをなるべくネタバレしないように書きます。

最後の場面。

あの場面って、現世なんでしょうか??

そもそもあのお父さん、生きてます?

主人公である父親、当初はレイバーたちに導かれる側だったのに、終盤に起きた大きな喪失の後、人々を導く側に回る。

クライマックス、見えない線の上を歩く彼の姿は神のようです。ザアっと砂嵐が吹くと彼が通った「線」が一瞬見える。

その線こそが「シラート」そのものだとすると、父親は神になったのでしょうか?それとも死神?

あの平野で生と死が反転し、監督の言葉で言う「尊厳を持って家に帰った」のではないか…ワタシはそんなふうに思いましたがどうでしょう?

そしてもう一つ。

問題のラストの場面、犬、いませんでしたよね?!前のカットでは尻尾を振ってついてきているのに。

イスラム教では猫が神聖な生き物とされるのに対し、犬は不浄の動物とされているそうです…。

興味を持った方はぜひ映画館で観ていただきたい!「シラート」、公式サイト貼っておきます〜。

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