基本情報
公開年:1989年
監督:リドリー・スコット
脚本:クレイグ・ボロティン ウォーレン・ルイス
キャスト:マイケル・ダグラス(ニック・コンクリン)アンディ・ガルシア(チャーリー・ビンセント)高倉健(松本正博)松田優作(佐藤)ケイト・キャプショー(ジョイス)神山繁(大橋)若山富三郎(菅井)
上映時間:125分
あらすじ
<以下MicrosoftAI copilotによる>
主人公の刑事ニック・コンクリン(マイケル・ダグラス)は、相棒のチャーリー・ヴィンセント(アンディ・ガルシア)と共に、日本のヤクザ組織のリーダーである佐藤(松田優作)を逮捕します。しかし、佐藤は日本に送還される途中で逃亡し、ニックとチャーリーは彼を追って大阪に向かいます。大阪での捜査は困難を極め、ニックは日本の警察官である松本(高倉健)と協力しながら、佐藤を追い詰めていきます。
※深い意味はありませんが、AI「copilot(コパイロット)」にあらすじを聞いてみました。今回はちゃんとしていますが精度は作品により異なりそうです
評価
いいよな〜大阪は。リドリー・スコットに撮ってもらって永遠の都市になったもんなあ。…なんて羨ましく思うほどイイ雰囲気の作品です。本当の大阪と嘘のオリエンタリズムが混ざり合い、どこかにありそうでどこにもない街になっている。
あと今回久々に観て、脚本もしっかりしてたんだなあ、と改めて思いました。
大阪万博に合わせてのことだと思いますがNHKBSで放映してたんですよね。89年公開時、映画館にこそ行きませんでしたがわりと早くビデオで観た気がします。その時はリドリー・スコットならではの世界観で撮られた実在の日本の都市ということに興奮し、さらに松田優作の遺作ということもあり、そちらに気を取られていましたが、アクション映画というジャンルの中に世代間対立、異文化対立がしっかりと描かれている。とても面白いです。では以下、感想です〜(ネタバレ少々ありです!)
感想
お若い方は不思議に思われるかも知れませんが、この作品が日本にとって画期的だったのは「日本人が日本人を演じた」からです。それまでハリウッド映画に出てくる日本人といえば、アメリカ現地で調達した東洋人。韓国人も中国人も一緒くたでした。
「ブラックレイン」の日本側キャスティングディレクターがどなたなのか、ザッと調べても出てきませんが、本当に革命的な仕事をされています(そのうちちゃんと調べてみます!)
日本人キャスト、皆良いです。松田優作は言うに及ばす、日本人・組織人らしさという芯のある松本刑事役の高倉健、優作の親分役の若山富三郎、チンピラの内田裕也、さらには用心棒役の安岡力也はこの頃が最強のビジュアルだったのではないでしょうか。
さて、マイケル・ダグラス(ニック)&アンディ・ガルシア(チャーリー)は、アメリカで逮捕した松田優作(佐藤というヤクザ)を日本に送還しますが、大阪で逃亡させてしまう。若い佐藤はニュータイプのヤクザで、親分に忠義を尽くさず、偽ドル作りで自分で商売を広めようとしています。
ここで起きるのが昔ながらのヤクザの親分との対立。親分の若山富三郎(菅井)はニックにこんなことを言います。
「俺はB29が飛んできた時、10歳だった。その後に降った雨は硝煙や砂埃で真っ黒だった。そのあとアメリカがやってきて妙な価値観を押し付けた。それで佐藤のような仁義を知らない奴らが生まれた」
ブラックレイン=黒い雨は原爆ではありませんが、同じくアメリカがもたらしたものです。
余談になりますが「仁義なき戦い」(1973年)の冒頭はキノコ雲の映像です。広島に巨大な暴力が落とされ、その広島から「仁義もへったくれもない」暴力にまみれたヤクザの抗争が始まる。
両者に共通しているのは「戦前は仁義ってものがあった」ということですが、果たして本当でしょうか?!いつの時代にも忠義心の熱い奴もいれば恩知らずもいそうですが、「昔は良かった」と言いがちなのもまた、いつの時代も一緒です。
そしてもう一つの対立がニックと松本の間の異文化対立。目的のためにルールを破る個人主義のニックに松本は言う。「戦後日本は組織力で機械を作り、それを売って成長してきた。その間にアメリカは何をしていた?音楽と映画しかないじゃないか」と。
これぞ日米貿易摩擦。80年代経済大国としてブイブイ言わせてた日本。音楽も映画も巨大産業ですが、エンタメ産業は今よりずっと下に見られていたし、まあ松本のような堅物からしたらお遊びに過ぎません。
これに対しニック、反論もしないんですよね。当時アメリカ人はどんな気持ちでこの台詞を聞いたのかしら?と思ってしまいました。日本もすっかり経済停滞国となった今では驚くほど強気な発言です。
そんで映画では仁義を知らない佐藤は逮捕され、ニックと松本はお互いの良いところを学び、友情を結んで終わり。いい話です。
さて、ロケ地が当初は歌舞伎町だったのは有名な話。しかし許可が降りず大阪になり、大阪で撮影開始したものの、警察は非協力的で規制が多くて進まず、リドリー・スコットもブチギレてハリウッドに帰ってしまったそう。
さきほどの「音楽と映画しかない」台詞のように、当時の日本においては映画なんて「たかがエンタメ」だったわけです。そんな虐げられた環境の中でサブカルとして育ったアニメが今やメインカルチャーとなり、日本経済を支えているのもまた皮肉。昔の映画って、こんな歴史まで考えさせてくれるのが面白いですね。
ブラックレインはアマプラで観られます〜。